1993/01/08(金)「実践しなければ読書じゃない」…究極の読書キライの変身ぶり

しつもんきた。 走り書き メモ 追記あり
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Q. 読書しても、著者の考えに左右されそうだし、
自分軸が迷い、ぶれるようでイヤです。

本代もかかり高いし、読書時間が無駄な時間になるし、、
もしもハズレ本に当たったら後悔するし腹がたちます。

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※ 自作の蔵書庫(ビルの地下1F~5Fまで)


A. 私は究極に読書が苦手でキライでした。いまは、次のようなイメージです。

2つ。

本を鵜呑みにするな。

本は読むものではなく、対話するものである。


良き本、良き読書とは、
実生活で自分が望むカタチを体得するための手引き書でしかないということ。

自分の「自然治癒力」を引き出す指南書として、、あるのが良き本、良き読書なのだ。


本自体、読書自体は目的ではない、、
本と読書は、己をつくりだす手段でしかない。


だから、私にとって


良き本とは、我が子であり、我が師であり、我が友であり、我が愛人である。


「実践しなければ読書じゃない」




本に答えを求めるな。
本はあなたがつくりだす出す答えのための栄養成分(ヒント)でしかない。

ビタミンはカラダに栄養を与え育む。
良き本はアタマとココロに栄養を与え育む。


あなたに合う栄養成(良き本)を あなたが選べば、
それで、あなたは 強靭でしなやかで自由で豊かさある人間性と生活を生む財産を得ることができる。

あなたがあなたに合わない本を選べば、人間性や生活、周囲、社会にとって損にも害にも毒にもなるかもしれない。


わたしは、自分が迷い、悩み、苦しみ、個立し、笑みを忘れ、恥ずかしめを受け、、死にかけるたびに、、気づくと近くに 本があった。
本を開く意思すら起きない、、その最後の迎えようとしていた瞬間は数えきれない。
開いたページの一単語、一句、一行。 頭の先からつま先まで、電流が走り抜ける衝動、湧き出でる魂の叫びに駆られることも少なくなかった。


そのときに必要としていたり、
忘れていたことを呼び覚ましてくれる出逢い本、再会本があったのです。


ーーーーーー 雑感 走り書き

質問にある…

読書をしたから、自分軸がズレるというのは、、
そもそも自分軸がないという証明ではないか?

そして、”では、自分軸は欲しいのですか?“
と聞くと、、欲しい、つくりたいという、笑。


私なら、むしろ“軸ブレする自分”、、を教えてくれた著者に、
喝を入れてくれてありがとう、、いま一度精進します、、と、感謝する。
選んでしまったもう一人の自分にも感謝する。

そもそも、、読んだ本、読んでいる本を、、鵜呑みにしない。
私は、それが、本を読む意味・価値・真髄なんだと気づいた。


その本は自分が選んだ。しかし、もし後悔してしまうなら、
それは“自分の目利き力、見極め力、真贋力”がなっちゃいない、
研ぎ澄まされていない証拠ではないか?

本とは、“一単語、一句、一行“ でも、、衝撃を受けるような、
自分の望むことに気づきやヒントを与えてくれたら良しとしないと。

仮に、その書籍を読書して一単語もピンとくるものがなかったら、
著者じゃなくて、、
自分がその本を選んだ器量を謙虚に受け止める必要性を感じるし、、

仮に、一単語感銘する言葉がなければ、、

それはそれで、“全てを反面教師”にして、
プラスに転化できる材料にすればいいだけのことだよ。



私は、読書の選び、買い、失敗、後悔から、、うだうだせずに
ある時期から、そのように量質転化することができた。

そしてそれが、“利益率の高い、利回りが最善で、最大化できた”のは、
読書という“自己投資”のおかげであると確信している。

また、あなたには後悔本でも、ほかの一人でも誰かを
救ったり、きづかせたりするのしているかもしれないのだから、
いちいちに自分の主観で、
一番ラクな、、善悪・損得の対立軸だけで評価するのも浅い感ある。

今の時代、人脈とかで発刊できるほど出版・出版社はあまくないし、
無自覚でバカにしているのと同じだ。

本代かかるし、、
自分は自分だ、他者の影響を受けたくない、自分らしくありたいと、、いうならなおさら、誰のせいでもない自分の器量に比例する本の選択力。

良き本を体得するとは
失敗しない自己投資といえる。

それは、良き自己投資である。

自分次第で、ある意味、、
「失敗確率ゼロパーセント」の投資がこの世にあるだろうか?


その“利回り、利益率、自由度”は、なによりも優れ、
“自分が望むカタチの豊かさ” を
他人や環境に惑わされずに、、淡々と実現していくのである。

みんな、本音、本心では「自分のこと、、」好きなはず。

なら、グダグダ時間はもったいない、やるだけ。
できなければ、できている人に、
自分から、相手が先にプラスになるように近づき、続けるだけ。


良き本との出会い生活。

生きる勇気と行動が明らかに育まれると同時に、
死ぬときに感動する、、というイメージすら湧いてくるのである。




本は紙ではなく、どんな本にも息吹が潜んでいて、、
自分次第で、魔法のランプにもなるし、ゴミにもなるんだ。


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※海外でも自作書庫ができてしまう


良き読書は、、血の匂いがする、温もりを感じる、知らなかった自分が、
魂の叫びと共に 深い内面から湧き噴きいでる。


読書実践人は無知の知を知っている。

先人・自然・生命との対話であることを知っている。


その本自体、、ファクトかフェイクか だって?

ある数を超えていくと
それすらどういうことか わかるようになっていくんだよ。


実社会で知られる必要もない、、
試した、活かした、改めた、得られた、続けた、、こと。

自分の自己治癒力のエネルギーに
本質・本物・本能・本気をワクワク感じて、
ときに大胆に、ときにひっそりと、楽しみ生きていく処方箋、良き本。


先人、自然、歴史、文化、仕事、遊び、芸術、哲学、思想、主義、戦争、宗教、旅、家族、恋愛、人間関係、心身健康、食、住、創作、ドキュメンタリー、フィクション、ノンフィクション、小説、写真集、漫画、雑誌、専門書、、


いま、社会は、、
情報過多、情報洪水といわれ、情報洗脳されずに生きるほうが難しいのではないかと感じる。
個人・組織・地域・社会の不安・不満・不信・不遇と理不尽さ。

いまこそ、良き本の「先人の智慧、自然界からのメッセージ」を
それぞれの自立へ向けて感じあうとき、分かち合うとき。ではないか。


世界には、数十億冊あると言われている書。
死ぬまで読めても数千冊か。

まだ観ぬ、良き本たち。
余生は、人との出会いのように選択とシェア&リスペクトしていきたい。



※ ”ゴミだ邪魔だ“と主観の違う俗物人をいなしながら逃れながら
私設図書館として約3万冊の書籍を国内外で公開しています。
最終冊数はあと10倍ほど。 最後に寄付奉納するところも決めています。


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※移動できるつくりにした私設図書群

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Memo…


読書せんやつは使いやすい

読書して動かんやつはめんどくさい


読書嫌い? 読書に意味がない? 読書は悪?
読書時間ない? 読書で影響される?
その通り。



世界人口80億人。
その数だけ、それぞれの主観がある。

まずは、伝わる方と 伝えたい方へ。

Up to You Up to Me


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良き読書で得たもの。

それは、生きる力。気づいたら、なんとか死なず、、
素力がついてきていたんだと思う。

良き読書と書いているが、、
悪読書を散々してきたから、、その違いが歴然とわかっていたということだ。

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知が枯渇する、脳が疲弊していく、心が病んでいくとき、、
救ってくれるのが”良き本“であるともいえる。

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無知の知である自分の「自説の仮説と検証」をするための
モノサシの一つであるということ。


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良き本と出会えたか、良き読書をしているか、、
それが明確にわかる。

”悪しき副作用“ でしかなかった読書には、

知識があるが、講釈はたれるが、、
そこに、その人間の、
思想がない、哲学がない、美学がない、世界観がない、本質がない、自分がない。

どこかで聞いたような話。
それを自分の姿そのもののように語る様子。


それは、とても悲しいことではないだろうか?

少なからず誰人にもいるであろう尊敬人に聞いたり見せたりしたら、、
褒められる姿ではないだろう。


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悪書に縁せず、読まず、過ごす、、目利き力


現代の作家、出版社への真贋力


良書を読むとは、悪書を読まないことだ

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多読はよいが、ジャンク多読はわるい


たまに、存在歴の長い書。 なぜなら…


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読書の凄さは、いざという時にわかる、ばれる、いきる。

日常平和、平時、常識とやらが通じる時代、とき、環境の場合はよい。
見た目にも、生活にもわからない。

しかし、いま、100年に一度とか言われている、、
自然災害、景気不安、福祉医療削減環境などをみると。


生命の本質である、命を延ばしたい。
守るべき人たちと安全安心豊かにくらしたい。


そのすべ。 ”良き本たち“ が語りかけてくれている。伝えてくれている。

有事が起きたら、身近危険、不安、不満、不信、不遇が起きたら?
恋愛、健康、住まい、人付き合い、仕事、就労、転職 、、

すべて ”良き本たち“ に道しるべがある。


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良き本は、ココロの病院でありドクター
悪しき本は、ココロの殺人鬼であり疫病神

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鵜呑みとは、ざっくり一言だと、、

純粋にそのまま スコンと、自分の主観でインプットしちゃうだけのこと。
または読んだが、全く記憶にない、語れない状態のこと。

過去現在未来、自分と全体、著者の思想と書いている背景、、などが、実は、その表面的な著作の文面自体より、面白かったりする。自分への気づきと問いを促してくれるのです。


自動車の運転技術本を読んだだけで、、運転できると勘違いしている。
水泳の泳ぎ方を見て読んだだけで、、泳げると勘違いしている。
料理のレシピ本を見て読んだだけで、美味しい料理ができると勘違いしている。

しっていると しているは 違う
わかる と かわる は違う



これらの傾向の多くの人は、
アマゾンや比較サイトのレビューを見れば、、わかる。

・どこの誰だかわからない、
・上から目線、
・批評にすり替え代変え案なし、
・レビュー星とやらが低い。


そもそも、、自己表現や言論の自由はある。

だから、不快に感じる、一線を超えるような
語り口、文体、書き方をするのは、法治国家の範疇なら良いのかもしれない。

しかし、そのようなレビューを書いている内容自体、、
その著者や作品に触れてでている感想や批評論調であるという事実から
作品や著者に対して世界人口80億人に評価があってよいとおもう。

作品や著者に対して感情的にマイナスだろうがプラスだろうが、、
ウンチクを書いてしまうレビューが一行でもあるのなら、
無自覚で自分の生きていく細胞に組み込まれてしまっているということであり、
スルーせずに、、云々を思い、語り、書き書きしてるということ。


そもそも、
・役に立たなかった、
・面白くなかった、
・知っていることばかりだった、、という類のレビュー。

その段階でそれをわかったこと自体が、
・自分の役に立たなかった(から、次は本の目利きをする自分の器量が成長した)、
・面白くなかったから(次は面白いものを見つけられるチカラをつけてくれた)、
・知っていることばかりだったから(それ以上の代変え案を出せる自分の知識智慧力を確認でき、行動もしいて、結果を出している自分の確認できた)

ともとれるよう。

正解は人それぞれ。 Up to You.


逆もまた真なり。

むしろ、完璧な人間、世相に絶賛されることをすでにしている最強の幸福者ではない限り、
自分と真逆である、共感・共鳴できない作者・作品ほど、

その異質・異文化・多様性との接点、触れ合いが、己の進みたい方向への砥石がわりになっている。

それは、誰にでもいる尊敬する先人思い浮かべてみよう。

そのすべての先人の生き様と智慧の生まれ方は
そのような過程をそれぞれのカタチと本質に置き換えて歩んでいる確率が高い。

いずれにせよ、その人間の単なる“レビューや批評”のすがた、
その答えのあり方、やり方、出し方が人生の姿、そのままとなる。 魅力となっている。


その作者や作品を教師としても、反面教師としても、、
その作者や作品に“ある意味、感謝して生きる” くらいの器量があるほうが
豊かさ、楽しさ、穏やかさのある人生を送れる確率は高いだろう。

本心、本音、本当は思うようなカタチでリアル社会と繋がりたい、愛されたい愛したい、、自分。

人の表現にウンチク語るより、
自分を本当は表現したいということが、全くできないという、、呪縛人生、、からは卒業できない。

どこの誰だか明かさない、情報知識洗脳されているのに自分の言葉のように勘違いしてウンチク語る、上から目線の承認欲求の、時代の被害者でもある、、
その顛末は、、不安・不満・不信・不遇、、憐れで惨めで可哀想という眼差しにさらされながら
社会や人間社会から“いなされて生きる” 羽目になるシャーデンフロイデでしかなくなっていく。



これらのことで自他の実体験をたくさんしてきた。生死を観てきた。

人間と社会の、、本音と仮面、光と影、欲望と慈悲、、。

はっきり言えることは、ほぼ人間なら全員が望むであろう実生活の
「経済的・健康的・時間的に・人間関係的・場所的自由人」は、
この4つの行為をすることはない、対象外であるという事実だ。
(もちろん、愛を感じる批評、論述もある・よい)

だからといってこの”サタン“(悪レビュアー)を
責めるつもりもない。いな、むしろ痛々しい被害者にすらみえる。

憐れ、可哀想というより、、社会の時流の中でつくられた人物キャラであり、

純粋だからこそ、このような自覚がない俯瞰、客観的な自覚がない社会洗脳に、、
実はマウント的に、相手をうかがいながら、なにかと関わって、つながっていたいと。

社会生活の自分の位置と社会生活への不安な未来。
けど、なにかに期待ぢながらも自分は正しいんだと、、
正体明かさず、本心はビクビク人間のままの裏返し行為の繰り返しで苦しんでいるんだ。

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本を一方的に損得意識でインプットだけする。

そしていかにも自分が思った、明かした、書いたかのように、、振る舞いだす。
これ、無自覚だから手に負えない。

自分が誰なのかも公開せずに、上から目線で語る、自己承認欲求にやられている。

小っ恥ずかしく、人としてカッコ悪すぎ。
その姿は、 スッポンポンの裸で街中を歩いているようだ。

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”良き読書 “のウンチクを語る前に、
自分の頭で考える、、だけではダメで、なにかを、やりましたか?

もしあなたでなく、先ほど書いた、
サターンレビュアーとあなたは友人になりますか?
上司でもいいですか?
結婚相手に選びますか?



少なくとも、自分が望むベストに近づけるように、そのような気持ちを持っても、
人生にプラスになっても、マイナスにはならないだろうというだけのことです。

ですから、もちろん、なんの意識もせずに、なにも考えずに、ボーと本を読むことも、、Up to You (あなたが選ぶ あなた次第)


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何者かに騙されないで生きたい。


答えを求めている。
その答えは見つからない。

起きたことのない自分の心と社会は、
自分が答えを創りだすしかないのである。

そのやり方もあり方も、学校、家庭、企業、社会では、
机勉強的に教えてくれない。

だから、「良き本」の選択。
先達の叡智。


思い出してください。
あなたにも、尊敬する人がいるでしょう。

経営者、経済人、芸術家、、誰でもいい。

本来、「良き本」との出会いは、
その方々に触れられるのと同じことなのです。


いなの世をみると、
むしろ、誰かが、「良きホンで、良きアタマ、良きカラダ、良きココロ、良きニンゲン」になっては困る人たち、、人をしもべ、奴隷化、利用したい人たちの存在もあるようです。


それを知る、引き込まれないようにするのも「良き本たち」との出会いと対話なのです。




※感情と心理学、科学的やり方がありますが、それは他所で走り書きします。

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世界人口80億人

その数だけ、主観と環境と生活がある
その数だけ、考える正義も、望む答えもある

まずは伝わる方と 伝えたい方へ